当山には、江戸名水「柳の井」があることから、「柳井堂(りゅうせいどう)心城院」と称されています。
江戸時代の文献『江戸砂子』・『御府内備考』・『紫の一本(ひともと)』・『江戸志』などの「柳の井 男坂下」の項に、「この井は名水にして女の髪を洗えば如何ように結ばれた髪も、はらはらほぐれ垢落ちる。気晴れて、風新柳の髪をけずると云う心にて、柳の井と名付けたり」と記されています。
「柳の井」は古来より水枯れもなく、数滴髪に撫でれば水が垢を落とすが如く、髪も心も清浄になり降りかかる厄難を拂ってくれると伝えられています。この霊水の美髪・厄除けのご利益を求め、日々参拝者が訪れています。
江戸時代の文献『江戸志』の「宝珠弁財天 男坂下」の項に、「江戸砂子にいう、此所の池は長井実盛(ながいさねもり。後に斉藤別当実盛になる)庭前の池と伝う。昔は余程の池なりしを近世其の形のみ少しばかり残りたり」と記され、かつての池は太鼓橋が架かる程の規模だったようです。
この池の水源は「柳の井」で、元禄の昔から病気平癒などの祈願で縁起の良い亀を放し、「亀の子寺」として親しまれておりました。
作家の久保田万太郎(明治22年~昭和38年)は、この池の亀を眺めて一句、
「きさらぎや 亀の子寺の 畳替」と詠みました。
元の池は亀の冬眠にも適した泥池でしたが、近年、周囲の都市化により池の水が抜け、亀の放生が困難となりました。
かねてより亀池の復活を望む声が多く寄せられ、平成23年10月、篤信者や縁者の寄進により一部改修工事が行われ、心城院の「心」の字形を模した「心字池」が完成しました。同年11月20日には放生会が行われ、60余名の方々により亀や金魚が放され、「亀の子寺」らしい賑わいをみせた一日となりました。
平成24年には、準絶滅危惧種のニホンイシガメの五つ子がこの池で産まれました。
水琴窟は、茶人であり作庭家としても有名な、小堀遠州(1579~1647)が初めて造ったと云われています。
当山の水琴窟に流れる水は、厄除けの江戸名水「柳の井」の霊水です。この水を柄杓ですくい、中央の石へ流してください。したたり落ちた水が地中に埋めた甕の中で反響し、あたかも琴を奏でたような妙なる音が私たちを楽しませてくれます。癒しを与えると同時に、厄難をも拂ってくれることでしょう。聴きづらいときは、脇の聴き竹に耳を添えて下さい。
この水琴窟は、さいたま市の株式会社東農園・山下利隆様の「都心の由緒正しい古寺で心穏やかなひと時を感じていただきたい」という思いにより、放生池改修工事を記念し、奉納されました。